論破って 論破したつもりの人が実はほとんど

論破したつもりの人 は実は議論ができない可哀想な人。

こんにちは。クリエイティブデザインラボの岩崎です。

ひろゆき氏をはじめとして、ネットやテレビでは「論破」という言葉がずいぶん前から流行っていますね。
ズバッと本質に切り込み、相手は何も言えなくなって黙ってしまう。こんな姿は世の中の人から見れば、まして議論と言っておきながら相手を丸め込もうとしたり、勧善懲悪大好きな日本人としては、非常に溜飲が下がる思い、ともいえましょう。

ところが、日本人というのは「議論」というものに向いていません。正確に言うと、そういった教育を受けていないので、議論や討論、ディベートというものをうまくできる人は多くありません。
本来は己の意見を戦わせるものですが、やり方がわからないので、

  • 揚げ足をとる
  • 攻撃的な表現をする
  • 言った言わないの議論にする
  • 何とか自分の論理に当てはめようとする

といった誤った解釈で討論を「しているつもり」になり、結果として「論破したつもり」になっているといった方が多いです。

今回はこの 論破したつもりの人 にフォーカスしてみます。



論破したつもりの人 は極論でしか存在できない

こういったブログでは、論破とは~という話の進め方がセオリーなのですが、それは後に回しましょう。
おそらくここにたどり着いてくれた方は、「論破したつもりの人」が嫌いで、その理由を尋ねてきていると思うからです(笑)

論破したつもりの人 、もしくは間違った論破しようと試みる人の得意技は「極論で話すこと」です。
というか、これでないと成り立たないと思っているので必死に極論を探します。
ちょっと例を出しましょう。友人同士の男性二人(A、B)が結婚観について話をしています。

A:そろそろ結婚を考えているんだ

B:それは素晴らしいね。ところで、君には「こんな結婚生活がいい」という希望はあるのかい?

A:そうだね。僕は料理が苦手だから、毎日ご飯を作ってくれる人がいいな。

B:そうなんだ。今の恋人はご飯を作ってくれるのかい?

A:いや、まだ食べたことないんだ。

B:そうか。じゃぁ今の恋人とは結婚しないということだね

A:そんなことは一言も言ってないけど?

B:君は結婚生活で毎日ご飯が出てくることを望んでいるけど、今の恋人は君に毎日ご飯を作ってくれていないだろう?ということは、その人は君の希望を満たさないじゃないか。

A:これから作ってくれるかもしれないだろう?

B:それは君に意見と希望であって、確実なものではないよね。少なくとも今毎日作っていないのであれば、これから毎日作ってくれる確証は限りなく低いじゃないか。

A:あぁ、なるほどね(よーし、話すのやーめた)

はい。いかがでしょう。
結果ありきなのですごく強引な会話ですが、何となく意味は伝わると思います。
お気づきの通り、Bは極論でしか話をしておらず、完全に 論破したつもりの人 になっています。

解説しましょう。
Bは、「結婚生活の希望」を聞き出しました。それに対してAは答えるわけですが、Aの恋人はこの希望を満たすだけの付き合い方はしていないようです。

【極論ポイント】
もちろんこれはAの「希望の一つに過ぎない」ものなのですが、Bはそれを至上課題として挙げています。それ以外に結婚生活の条件はあり得ない、というようにしています。
Bは以降の話を全てそれで構成しているので、「そもそも条件から外れている」というスタンスになっています。

これでは会話は成立しません。しかし、BにとってはAの反論を封殺している(と思っている)ので『Aから反論が出てこない=論破した』と考えるわけです。
これでコミュニケーションがとれていると思っているのだから、B的な思考はどうしようもないですね。

まさにこんな感じ。

極論で話すと、話は著しく幅を狭めます。
例えば「猫が好き」というと「犬は嫌いなんだね」と来ます。
論破したつもりの人 は、極論でないと自分のフィールドに相手を引き込めません。

好み一つとっても、好き、嫌いだけでなく、「どちらでもない」や「嫌いなわけではない」という、いわゆる玉虫色の判断が存在します。

XとYというものがあり、「Xが好き」というのと「Yが嫌い」は全く次元が違います。
例えば

チョアイスとバニラアイス、どっちも好きなだけど、チョコの方が多く食べるからチョコが好きかな

というのもチョコを選んだからバニラは好きではない、ということにはなりません

ところが、論破したつもりの人 はこれを許しません。
なぜなら、それがあると相手の言論を封殺することができないからです。なので、Xが好きならYは嫌いだとするわけです。
「どちらも好きだよ?」という反論がある場合は、「どちらかという質問にそれはあり得ない」と返します。「どちらが好きかという質問でXを選んだから、Yは好きではないということですよね?」と返してきます。

さて、何となくお気づきと思います。
次のテーマでは、論破したつもりの人 が好む質問を解説しましょう。



論破したつもりの人 が好きな質問方法

こんな質問をされたら注意しましょう、というお話です。
これまでの内容からわかるように、論破したつもりの人 が好きなのは「極論が作り出せる質問」が大好きです。
言ってしまえば、例外を認めない「事実」だけが対象なんですね。

日本の法律では、一部その事件を起こしたと思われる被疑者の状況や心理を鑑みて、減刑したり判断の際の材料にしたりする『情状酌量』という概念があります。ところが、これを 論破したつもりの人 の理論に組み込むことはできません。それを組み込むと極論が構成できず、論破(と勘違いしていること)ができないからです。

ですから、XかYか、イエスかノーかで迫り、それを言質にして例外意見を許さず相手の言論を封殺するのです。

ということは、です。
XかYか、イエスかノーかで迫られたときには、「それを明確にしないといけない事?」とか、「事実しか伝わらないから議論にならないけどいいの?」とまず返すのが効果的です。

もちろん、相手は明確にしないと論破(と勘違いしていること)ができないからその必要性を訴えます。そこで、なぜ必要なのかを言わせましょう。
攻められているわけではないし、揚げ足をとられているわけではないので、あなたは冷静にその話を聴けるでしょう。

賢明なあなたなら、思うお気づきですね。そうです。次のテーマではそれをお話します。



論破したつもりの人 が嫌うのは極論

論破したつもりの人 が最も嫌うのは、極論での意見をぶつけられることです。
曖昧な回答に対し揚げ足をとるのが論破(と勘違いしていること)だと思っているので、極論で攻められると手を失います。

「意見ですよね?データあるんですか?」に対して、「意見を述べる時間だけど?」と返す。

「どちらか明確にしないと判断できないですよね。」に対して「様々な状況が起こりえるので、多くの可能性を考える」と返す。

もしくは論破したつもりの人 は実際には論破できていないので「そう以前に言われた」「そう感じた」「○○は▽▽ってことですよね?」と感想に近い質問でこちらを自分の土俵に引き込もうとします。
なので、そんな時にはそれこそ「感想だよね?データあるんですか?」と返しましょう。

論破したつもりの人 もある意味正論を履いているので、正論に正論は意味はないです。
ですが、相手が使おうとする言論封殺の技法は、相手もやられると困るものなのです。なぜなら、会話がそこで止まるから。
つまり、論破したつもりの人 がけしかけてきてめんどくさいなと思ったら、そんな時は相手の言論を封殺してしまいましょう。



論破したつもりの人 は避けるかおちょくれ

論破(と勘違いしていること)が好きな人は、基本的にめんどくさいです。話を本質を一緒に探る議論ではなく、相手の揚げ足をとることが目的になっています。つまり、同じゴールにたどり着けない状態なので、意見として尊重するのはいいかもしれませんが、それを取り入れて考えとして構成するのはやめた方がいいでしょう。

または、これはお勧めできませんが、論破(と勘違いしていること)が好きな人は、目的を達成させたいと思うあまり取りこぼしが多いです。
極論で構成するので、極論では維持できない細かいものを取りこぼします。
本来それは、その人の意見のエッセンスになるわけですが、それを認めないのが 論破したつもりの人 側です。なので、それをからかう材料として議論を進めないようにすればいいのです。
この際大事なことは、意図的に議論の本筋からそれ、相手の意見だけを対象として話題を盛り上げることです。
ちょっとスキルがいりますが、やってみる価値はあるかもしれません。(責任は持てないけど)



論破したつもりの人 が勘違いしていること

議論という場所を、「相手の揚げ足をとり話をするところ」と勘違いしているのが 論破したつもりの人 の特徴です。
そもそも議論というのは

議・・・話し合い。相談。意見。考え。提案。
論・・・物事の筋道を述べること。

とあります。つまり、己の感想を「こういう理由で」と述べられれば議論はある意味成立するわけです。つまり、「それは感想ですよね?」はそもそも的外れな意見であることはわかると思います。

この角度から考えると、そもそも 論破したつもりの人 は議論の本質がわかっていない、とも言えます。

ところで、私がなぜここまで「 論破したつもりの人 」というかというと、論破できる人というのは、話を聞くのがとても上手い。そして、相手を納得させるのも上手い。
さらに、議論から生まれるアイデアの価値も知っているので、「おかしいところには突っ込むが、アイデアは否定しない」ということがあります。むしろ、「そのアイデアは素晴らしいのだから、裏付けを持てばもっといいアイデアになるぞ!」と言います。

揚げ足をとって優位にたとうとする人は、ここが壊滅的に弱いのです。とにかくマウントしたい。相手の理解や納得なんてどうでもいい。「そのアイデアはエビデンスがないので聞く価値がありません」ときます。

論破したつもりの人 は、自分がとても柔軟で、とても革新的で、とてもアイデアに長けた人だと勘違いしている人が多いです。
ですがその実、「エビデンスがなければアイデアとして受け入れない」というのは変化を恐れ、異なる意見を排除し、わかる世界の中でしか話せないという人でもあるのです。



論破したつもりの人 にはまず喋らせよう

もしもこの先、 論破したつもりの人 に出会ってしまったら。
その人とグループワークをやらざるを得なくなったら。

まずは意見を出させよう。

誰かの意見に反対を述べさせるのではなく、まずは意見を述べさせよう。
その上で、「意見はわかったよ」と言って他の人のターンにしてしまいましょう。

それだけで、平和になります。
「感想だろ?」と言われたら、「そうだけど?ここは議論の場だろう?」で「議論て意味わかってる?」と返しましょう。

議論の意味は先に述べましたね。それをぶつけて、黙らせましょう。





Follow me!