夫婦で 子育ての考え方 がぶつかる理由
子育ての考え方 が夫婦でぶつかる理由は、見ているところが違うから。
こんにちは。クリエイティブデザインラボの岩崎です。
仕事柄色々な記事や情報を収集しますが、特に最近は子育て関係が多いです。そうすると、やっぱり多いのは育児に対してママが大変でパパが非協力的だという記事。
今回はちょっとそこから色々考察していきます。
子育ての考え方 が違う?
実際に子育てに無関心な昭和的価値観な男の人もいますし、実は結構子育てに協力的だけど、あまり報われていないパパ(男性目線)もいます。
かたやママは常に子供を見ていてパパにも育児を求めます。この時に「協力(やってもらう)」を求めるのか、「参加(一緒にやる)」を求めるのかで感覚も異なります。
ちなみにこの時にパパが取るべき姿勢は「協力」ではありません。「俺も協力するよ」ではなく「俺がやるよ」です。
では一体どのように 子育てへの考え方 が異なるのか。それぞれの目線から考えてみましょう。
ママ目線は私の想像です。
子育てへの考え方 パパ編
基本的に男の思考というのは複数のことを「同時に」「等しく」考えることが苦手です。さらに、人によっては「わからないことはやりたくない」という人もいます。
これを前提に考えてみましょう。
男の人はなぜか、大なり小なり「育児は女性の役割」と考えている人がいます。もちろんこれは毎日の仕事量だったり、在宅の時間の関係で「やりたくてもできない」という人はいますし、それぞれの事情や感情があるでしょう。
しかし結構な確率で、今の世代のパパはまだ幼少期から自分の母親との時間が多く、そのため生まれながら「子供はママが相手するもの」と刷り込まれています。
そして、ママは育児わかるでしょ?みたいな思考も持っています。
ですから、いざ自分がパパの立場になると『何をしていいかわからない』という状況が生まれます。
そして「自分だけがこの家の経済を支えている」なんて考えを持っていようものなら、仕事をしてお金を稼いでいる自分が至高なので、子育てへの考え方 もずれが生じます。
さらに、男は「家事」と「育児」を混同しやすい。実に混同しやすい。もっとわかりやすくいえば、「家事育児」という一つのものとして捉えている人もいます。
このようなことが集積された結果、何の悪気もなく「俺も子育て手伝うよ」という完全に的外れな発言がドヤ顔で発せられるわけです。
「手伝う」という時点でそれが方向性がずれていることに気づいていないし、むしろ「俺協力的だぜ!」とパパは思っています。(お気づきの通り、「協力」の時点で間違っています)
その他、自分の自由な時間がなくなるという意味で、子育てを面倒なこととして捉えている人がいます。
なので、「自分がやらなくてもすむ理由づくり」に関しては天才的になるわけです。
こうやって書いてみると、中々痺れますね笑
子育てへの考え方 ママ編
これは私自身色々な媒体で知ったりそれをもとに考えたりしたことなので、どこまで合っているかは不明なので、予めご承知おきください。
私が考えることとして、ママのもつ 子育てへの考え方はこれだと思います。
「二人の子供だからお前も子育てやれ」
ではないかと。
男は「家事育児」と一緒くたにしがちだと書きましたが、実際には完全に別物です。そして、例えば専業主婦なら家事はママがやるものなのかもしれませんが、それは家事だけの話で、子育ては別です。
まして、旦那が家事に対して完璧を求めようものなら子供、特に幼児の面倒を見るのは物理的に不可能です。
それでいて、自分は仕事から帰ってきて子供が泣いていようものなら「ママ、子供泣いてるよ」とかいって自分は知らんぷり。ゲーム始めたりスマホ見たり、ご飯食べようとしたり、要は自分のことをしようとしたり。
こんなん、ストレスがたまらない訳がないし、体調が常時万全でいられるわけもありません。泣いているなら抱っこしろよと思うし、帰ってきたら相手をしろよ、と思います。パパは「仕事で疲れている」というかもしれないが、自分だって家事と育児と、何なら自分も仕事をしているのならそれも含めて疲れている。
そんな感情にもなります。
もちろん、全てのママがこう考えているとは思いません。人によっては損得を考えるだろうし、「疲れている方が偉い」みたいな発想で「大変自慢」に発展してしまうこともあるかもしれません。
子供が言うことを聞かずにイライラして、自分がどれだけ頑張っているかをパパに訴えて溜飲を下げるご家庭もあるかもしれません。
しかし、基本的にママは背負うものが多い。
私も、「このような手続きはママに任せよう」的な思考が生まれがちです。それだけ負荷をかけていますし、改善すべき事案であると思います。
子育ての考え方 着眼点が違う
私は男性かつ父親なので、女性であるママの思考は想像する以外できません。
と言うわけで男性の思考ですが、男は子育てになると「やったことに対するアピール」が強いように感じます。
例えばやるべきことが10あって、うち1とか2やっているとします。するとパパに多い思考は、「全体は関係なく、1、もしくは2やっているから、自分はやっている」となります。
一方ママに散見される見え方として「1や2しかやらない。8やってない。つまりやってない」と言う意見もあります。もちろん、「1、2もやってもらってる」という考え方の人もいます。(これはこれでよろしくないのですが。)
お気づきの通り、着眼点が違います。
やったの部分だけを見て「やっている」
やっていないところを見て「やっていない」
これ、わかりやすくいえば、パンダの腕だけ見て「パンダは黒だ」と言うのと、「黒い部分もあるけどそれは手足耳だけだからパンダは白だ」と言っているようなものです。
パンダはパンダの色なのですが、この議論が絶対に完結しないのはお分かりだと思いますが、子育てに関する価値観や考え方が異なれば絶対に考えは平行線で、双方がストレスを抱え続けるのです。
子育ての考え方 を擦り合わせよう
男は基本的に、育児と家事がどれだけ時間と労力を取られるのかわかっていません。そして、ママが思う以上に父親の自覚が希薄な男は実在します。
こう言った人は、本当にわかってもらうしかない、と言うのが私の意見です。
一番いいのは調子崩して何日か入院してしまうこと(笑
ですがそれはちょっと現実的ではないですね。
人は変えられません。自分しか変えられません。だから旦那に代わってもらうとするのではなく、自分が変わるしかないです。とはいえ、ママは大変です。毎日ご飯を作り、洗濯をし、並行して子供の面倒を見て、自分のことは後回し。子連れの買い物どころか、調子悪くても子供を連れて病院に行くなんてとても無理でしょう。
だからそんなママには、こうしてほしい。
旦那を調子に乗らせる。
男は基本的に馬鹿です。自分がやっていると言う自負が旦那にあるなら、その幅を広げさせてしまえばいい。
「ありがとう」「助かった」「またお願い」「あなたにしか頼めない」これらの言葉を何かやってもらったら連呼しましょう。あくまで嫌味にならないように。
男は馬鹿です。気持ち良くなってやるでしょう。
「俺がやってやってるんだ」と言うことを言うようになるかもしれません。しかし、あなたがコントロールした結果です。つまり、ママの手のひらでドヤ顔で踊っているだけです。そう思うと、なんだか可愛く思えませんか?
簡単ではありませんが、やってみる価値はあると思います。
子育ての考え方 筆者編
私が子育てをするにあたって、子供が生まれた時に考えたこと。
「赤ちゃんの時の身の回りの世話出来ない父親、子供のこと聞かれて答えられない父親って最高にダセェ」
と思いました。
わからないこと、出来ないことは妻に聞きます。そしてできるようになります。
幼稚園のこと、学校のこと、毎日聞きます。情報をアップデートです。
おむつだのご飯だのお着替えだのはやれて当然。ご飯は作るも含みます。
色々わからないことはまだ多いです。ですが、少しでもできるようになりたいと思います。
子供の担任の先生の名前すらわからないパパとか、ダセェ以前の問題。
子供のこと答えられない父親は最高にダセェ。
子供と一緒に楽しめる父親は最高にクール。
それが私の原動力です。