ネットの匿名性を本気で信じてるの?

こんにちは。
クリエイティブデザインラボの岩崎です。

有名人のTwitterなどに誹謗中傷を書き込む事例が後を絶ちません。
この誹謗中傷に耐えかねて命を絶つという非常に残念な結果をも生んでしまう事件も多発しています。

厄介なことの一つは、この誹謗中傷を書き込む人が罪悪感なく書いていること。むしろ愉快犯のような様相すら呈して、相手をたたくことができること。 なぜこんなことができるのか、というともちろん書く人の精神状態や置かれている環境、思考特性が最も問題なのですが、誹謗中傷を大丈夫と思わせてしまうシステムがあるからです。

それが匿名性。

匿名で記載の上、「これは誹謗中傷じゃない」とあらかじめ書いておけば自分には害がないと本気で考える人もいる時代。
しかし、この匿名性。もはや匿名でも何でもなくなってきています。

ネットは匿名じゃない

TwitterをはじめとするSNSは名前も含めて偽れますし、それを咎められることはまずありません。
ですから、『自分ではない自分』を演じることもでき、それがリンクやフォローなどでも現実の自分と結びつきをなくせば、独立したもう一人の自分を演出することができます。

こうすることで、誰かを攻撃するのは現実の自分じゃない=匿名のような感覚が生まれ、そして実際に目の前にいない、自分だとわからない(身バレしない)という 、相手は有名人だから好きに言っていい(という勘違い)という事実が重なって、匿名での誹謗中傷が生まれるわけです。

ところが、です。

現代社会でインターネットに接続する場合、必ずIPアドレスというものが割り当てられます。
グローバルIPといって大まかな場所のアドレスだけでなく、個人の家や端末の回線、その先の端末ごとにもIPは割り振られます。 そして、今は「情報開示請求」の権利を行使して弁護士などがプロバイダやTwitter等の企業に情報開示を求めますが、おそらくすぐに法律が変わり、今以上に簡単にIPの取得ができるようになります。(今でも専門家であれば特定できますが)

ですから、インターネットは最早匿名じゃないのですよ。
にもかかわらず有名人に誹謗中傷してる人がいて、正直、「この人いろいろ大丈夫?」と思ってます(笑)

なんで個人がわかる?

これは専門ではないので詳細は書けませんが、でもちょっと考えてみればすぐにわかることだと思います。

例えば、スマートフォン。 多くの方がプリペイド式ではなくて通常に契約していると思いますが、この携帯電話会社との契約の際、住所書きますよね?
ですから、悪意のある書き込みに対して、「この書き込みをしたIPはどれだ?」→「この端末は誰のだ?」→「この人の住所はどこだ?」くらいは簡単にわかってしまいます。

はい、もうバレましたね(笑)

次に、スマホではなく家からやった場合。 IPアドレスは各端末を管理している出口に割り振られます。
ですから悪意のある書き込みに対して、「この書き込みをしたIPはどれだ?」→「お宅のプロバイダ契約してる人みたいなんだけど、このIPだれ?」→「その人の契約住所は?」で、もうバレましたね。

じゃぁそもそも家でもスマホでもない、ネットカフェなどはどうだ!と思いますが、今はそういった空間はインターネット利用のために免許証などの個人情報を求められますし、それがなくても防犯カメラ映像から足取り割り出すくらいできます。

というわけで、匿名性がないどころか、専門的に追えば玄関開けたまま家にいるようなものなんですよ。
にもかかわらず、この問題は後を絶ちません。
それはまだ、この匿名性の脆弱さが一般に浸透していないからだと思います。

それでも、事態は好転の兆しを見せ始めています。

書き込まれた側が黙ってない 有名なタレントやブロガーを筆頭に、誹謗中傷に対して法的処置をとるニュースが増えてきたように思います。といういか実際増えてきています。
被害者が黙っていないという意思表示や、そういった対処があることを世にわからせるという意味で、とても意義のあることだと思いますし、同時に名誉を回復され安心した日常を送ってほしいと思います。

このように有名人が法的処置を発表すると、誹謗中傷の心当たりのある人はすぐにお詫びに走ります。 散々他人を傷つけておいて、自分の身が危うくなるとすぐに救いを求めます。 なんとも卑怯。なんとも都合のいい。

中にはとりあえずあやまっときゃいい、くらいに謝る人もいるのでしょう。 ですが、実はもうそれは手遅れです。 なぜかというと、著しく人権を侵害している書き込みは、有名人が警告している時点ですでに抑えられています。 遊び半分で誹謗中傷して法的処置をちらつかされてビビる小心者は、これに懲りてあまり誹謗中傷しなくなる。つまりは抑止力になります。

同じように悪意を持って書き込んで、法的処置をビビらないバカはすでに個人情報を握られているので、別のところでもやります。そして余罪となってあぶりだされます。

そもそも調子に乗って誹謗中傷しなければいいのですが、書いているときはそんなこと考えません。 そして、いざ法的な処罰を身近に感じて後悔します。後悔なんてしても手遅れなんですけどね。

こういった小さな活動が、卑怯な悪の芽をつぶしていくのだと思います。

幸い私はいわゆるクソリプや誹謗中傷を受けることはありませんが、それでも受けたいとは思いませんし、あってはいけないことだと思っています。

勘違いしてはならない

最後に、重要なこと。 批判か、誹謗中傷かというのを最終的に決めるのは書かれた側です。
書いた側の人に判断の権利はありません。

もちろん、「批判とは何か」を定義することは重要ですしそれはしっかりと決まっていますが、書く側が「これは誹謗中傷ではなく意見ですが」と前置きしたところで、受け取る側が誹謗中傷だと思えば誹謗中傷です。

しかし、それでは当事者の感情論になってしまう。 だから、司法という場において第三者が判断をするわけです。

大事なことだからもう一度言いますが、誹謗中傷を判断するのはされた側です。
そして世の中のすべての人が、他人を誹謗中傷する権利など持っていません。

勘違いの正義感は、いずれ法の下に裁きを受けます。 誰かを攻撃する前に、自分を自分の手で満たしてあげなさい。そうすれば、他人のことなんてどうでもよくなります。

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