子どものスマホとのかかわり方 ~必要なのは教育よりも・・・~
こんにちは。クリエイティブデザインラボの岩崎です。
さて、大阪府が子どものスマホ対応に正式に意見を出し、教育現場や教育関係者の間で意見が大きく割れています。
特にメディアを通じて意見を発信しているので、よく耳にするのは教育研究家である「尾木ママ」こと、尾木直樹氏の意見をよく聞きます。
さすがは専門家だけあって説得力に富んだ発言をされるわけですが、しかし、親の立場から『ん?』と思わざるを得ない意見もあるので、今回はそれについてお話ができればと思いました。
尾木ママの言うリスク
さて、スマホを学校に持ち込むことの是非、ということで多くの人がその問題に対し賛否を意見しています。
そう言った中で、尾木ママは『信じられない愚策と言わざるを得ない』として、以下の3つのポイントを挙げています。
- スマホの盗難
- 歩きスマホ
- いじめ
この3つ、確かに子どもにとっては大きな問題です。
子どものコミュニティや社会というのは、常に大人が考える斜め上を行くもので、大人の知らない情報を当たり前に共有しているもの。
ですから、逆を言えば大人がどれだけ予防線を張ったところでそれをかいくぐるのは天才的にうまいのが子どもなのです。
ではどうするか
私がこの問題を知ったとき、そして尾木氏の意見を知ったとき真っ先に浮かんだのは『家庭のしつけ』でした。
“机に置いてあったはずのスマホがなくなっている”
は、盗難です。学校と異空間は、極端に言えば“そこにお金が置いてあったら、ずっとそこにないといけない”場所です。
これは、児童・生徒・学生一人一人のモラルに依存しています。
そしてそのモラルの基礎を形成するのは親のしつけに他なりません。学校ではないのです。
“歩きスマホで事故の心配”
これはそもそも、“周りを見て気を付けないといけない”、というのは歩き始めの幼児から教えるべきことです。子どもがスマホの魅力に負けて道端で出してしまう・・・というのも十分考えられますし、防ぎようがないでしょう。
しかし、心の中で、『道端で出すのではなく止まって取り出す』としっかり身についていれば、少なくとも歩きながらの自己の抑制力にはなります。
“いじめ”
これについては、ここで語ると長くなるので割愛しますが、これは事なかれ主義の学校社会が生んだ悪魔だと私は思っています。
そして何より、その解決をすべき先生があまりにも多忙すぎることもまた、原因です。
これは違う機会で語ります。
学校ではなく家庭にも問題提起している
学校という空間は、勉強をする空間ではなく、集団的社会生活を営むことを教える空間であると考えています。
この経験を経て、自立から社会的自立に変化をしていくのです。
そしてその根底には、最低限のモラルや道徳、社会的ルールを身につけている、または身につける土壌が出来上がっていることが大前提です。
そしてそれは、学校の仕事でも、塾の仕事でもなく、家庭のすべきことです。
今回のスマホ問題も、そもそも家庭でどう取り扱うかを試されていると思います。
そして、少々過激ですが、私は学校という空間はペナルティを厳罰化してもいいと思います。
そもそも、いじめって犯罪なんですよ?
それをなぜ、『認める』だの『事実はない』などど歪曲するのか。
こんな問題も、家庭のしつけには孕んでいるのです。