笑って追悼できる日を必ず・・・
今の若い人には、そんなにイメージはないのかもしれないが、昭和・平成、そして令和に生きる人たちに多大な笑いを届けた、日本を代表するエンターテイナーでありコメディアン。
彼の目指す笑いのスタイルには老若男女賛否両論あるだろう。しかし、彼の活躍に笑わせてもらった人も多く、また、多くの人から愛される方だったと思う。
人をいじり、暴露し、もしくは追い詰め、それを笑いにするのが今のお笑いの中に多いスタイルなのかもしれないが、彼の笑いの哲学にはそれとは一線を画す、確固たるものがあったのだろうとこの年になると気づく。
まさかこんな形で、この素晴らしい人を日本が失うとは思っていなかった。
同時に、こんな形で日本から、すべての人から彼を奪い去ったコロナが本当に憎い。
彼はその命をもって、日本中の人間の意識と行動を大きく変えたのだと思う。皮肉なことに、政府が、都知事がどれだけ情報を発信しようと届かなかった人にまで、彼はこの危険性を届けたのだと思う。
それでも、コメディアンである彼を思う時に、いつまでも悲しくあるのは失礼なのかもしれない。今はまだ、その実感すらわかないけれど、いつか時がたった時に、『志村けんのおかげで意識替わったよな』って、笑いながら話せることが、笑わせてもらった彼への恩返しなのかもしれない。
だから私たちは、より一層の危機感を強めなければならない。
1人1人が免疫を高め、コロナに負けないようにしなければならない。
志村けんさん、あなたの笑いに対する真摯な態度が、コントで見せる真剣な表情が、ドリフのメンバーの話をする時の笑顔が、時々見せるエッチな顔が、なによりパン君やほかの若い人たちに見せる柔らかい表情が、大好きでした。
これまで、ありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
良い旅路を。