プレゼント話で思い出したこと
こんにちは。
クリエイティブデザインラボの岩崎です。
SNS上で、「某アクセメーカーのアクセサリーがクリスマスプレゼントとはありえんわ」的なつぶやきが話題になっていました。
その意見をみて、ふと何年か前の出来事を思い出しました。
今回はそんなお話。
あ、前回のクソリプを送り付ける人の心理は現在作成中です。
相手の気持ちがあるということの理解
さて、クリスマスでした。皆様はどんな風に過ごされたでしょうか。
我が家は毎年それ以上に大事な日でもあって、(宗教上の話ではない)あまり重要視はしていないのですが。
そんな折にみた、冒頭のSNSの話。
別にその人がどんな立場とか、何をもらったとか、それはあまり興味がないです(笑)
それよりも、プレゼントをもらったことをツイートして、その時の心理を考えたときにふと思い出したものがあります。
それは以前、就活サポートを行っていた時のお話。
そこにいた講師の人が、ある学生の身の上をいじりました。
正直言って、非常に古い人でまさにザ・団塊みたいな人です。若い人は年配の小間使いになって当たり前、みたいな。
ある日、講座に参加する一人の学生の身の上にとあることが起こりました。それは本人ではどうしようもないこと。そして、本人は憔悴してしまうほどにショッキングな出来事で、私たちにも涙を浮かべながらそのことを話していました。
本人は少し欠席することを伝えてその場を後にしたのですが、件の講師はそれを他の学生に伝えるのに、ネタのように話しだしました。
そしてそれを笑う学生。
もちろん学生は「めんどくせぇな」「とりあえず合わせておくか」程度だったと思うのですが、私はその時の部屋の空気がとても異様に感じました。
1人の人間が憔悴するほどに悲しんでいる事実をネタにできるこいつは、本当に教育者か?と感じました。
また、どういった背景があるにせよ、笑ってしまう学生が『相手の気持ちが理解できない人なんだな』と残念に思いました。
学生はとりあえずこうしておけば・・という心理があるので、ある意味仕方ない部分もあったと思いますけどね。
それでもそういった人が教育者を名乗って欲しくはないし、履歴書に「人の気持ちがわかる」なんて書いて欲しくないなと思いますね。
心がこもっているということ
何を貰えるのか、それにどんな金銭的な価値があるのか。それはそれで大事だと思います。そこに価値を置く人もいるので、それは否定しません。
なので、あくまで私の価値観のお話。
誰かにプレゼントを送るとき、それは1秒かもしれないし、数時間かもしれないし、もしかしたら何日間かもしれないけど、送る相手のことを考えていると思います。
それは同時に、自分が受け取る側なら、たとえ一瞬であっても自分ことを真剣に考えてくれているということでもあります。
プレゼントというのは、物理的な贈り物だけでなく、一瞬でも真剣に考えてくれた気持ちがあるからうれしいのかな、と思います。
そしてさらに、やはりその気持ちを受け取る以上は相手の気持ちを慮って欲しいと思いますし、仮にSNSに否定的に載せるなら、常にその姿勢で、間違っても「相手の気持ちがわかる」などということは言わないようにしてほしいものです。
人を笑うならそれを貫け
翻って、上記の学生の話。
当事者の学生がどのような心模様だったのか、それによってどれだけ行動に影響が出てしまったのか。これは実際に見ている人もいますし、皆理解していたようです。
その上で、いかなる理由があれども、それをネタにいじる内容に笑うことができるのであれば、履歴書やESの自己PRに「私は人の気持ちが理解できます」とか「相手の立場になって考えることを心掛けています」とか絶対に書くなよって思います。だってそれ、うそ書いてるってことなんだから。
そんなことを強く感じたある日のことを、思い出しました。
相手の気持ちを慮れば、相手のことを真剣に考えれば、プレゼントをあざ笑うこともバカにすることもできないはず。
逆に言えば、そういった人は、いつも何かに不満をもち、文句を言うでしょう。
考え方を変えれば、”数千円で相手を見抜くこともできる”ともいえるかもしれませんね。でも、相手を試す前に、そういった方を選んだのがあなたの審美眼であることをお忘れなく。ね?試せなくなったでしょう?(笑)