間違った正義が人を破壊する
こんにちは。クリエイティブデザインラボの岩崎です。
この記事を執筆している数日前、約半年前に多目的トイレを利用して不貞行為を働いた芸能人(以下:w氏)の謝罪会見がありました。
本人の会見内容はそんなに特に取り上げることはしませんが、この記者会見自体が、非常に人間の醜さや愚かさが現れでた内容だったので、この時の人間の考え方をふくめて考えを述べていきましょう。
記者会見に対する大前提
そもそも大事なことですが、正直なところ私はこの記者会見の中身はどうでもいいです(笑)
不貞行為に使用した場所に関しては、もしその瞬間にその場所を本当に必要としている人が使えなくて困ってたようなことがあれば、社会通念上どうかとは思いますが、不貞行為そのものは本人と相手、そしてその家族の問題ですから、別にどうでもいいんですよね。
そういった意味では特筆すべきことはないのですが、記者会見は興味があったので少しみました。このテクノロジーが発達し、芸能人がファンと直接関わりが取れるようになった時代、もはや存在意義すら失って、世の中から必要とされていない芸能リポーターという仕事の人たちがどれだけの仕事をするか、興味がありました。(実に性格が悪い)
正義という大義は勘違いしやすい
ドイツの映画で「es」という映画があります。
これは実際に起きた心理学の実験による事件を題材にした映画で、看守役と囚人役に分けて疑似刑務所で生活させた場合の心理変化の調査をしていたところ事件が起きる、というお話。
この時、看守役の人は役割として囚人の監視、権利として抑圧できる力を与えられたため、囚人役を抑圧するため次第に乱暴になり、歯止めが効かなくいなっていきます。
人間は、自分に力があると勘違いしたり、「正義」とか「民意」とか大衆が反対しにくい大義名分の元に自分が行動していると錯覚すると、途端にその力を暴走させます。
今回の件の記者会見でも、その一端がリポーターの態度から見られました。
「こっちもガキの使いじゃない」とか、「精神科に行っていたのか、病名は?」とか。
本来リポーターはどんなことがあったのか、今後どうしていくのかなどを聞けば言い訳です。
ですが、W氏の不貞行為が社会的に許されない、多目的トイレという必要としている人がいる場所でそんなことをする奴は悪だ!、今更のこのこ出てきやがって!
と、国民は思っているに違いない。私たちが正義の鉄槌を下してやる。
こんなふざけたことをした男は、私が辱めてやる。
なぜなら私が正義の代弁者だからだ!
という勘違いがレポーターに渦巻いていたのでしょう。
実際、世の中の声はどうだったでしょうか。芸能リポーターのおよそ非人道的な追及を支持し、よく言ったと喝采を送る声はあったでしょうか。
結果は皆さんがご存知の通りです。芸能リポーターに対して第バッシングでしたよね。
つまり、正義を勘違いした結果、自分たちの評価をさらに下げてしまったと言えます。
なぜリポーターはあんな態度になったのか
もちろん、この答えは前述の通り、「自分が正義だと勘違いした立場に立ってしまったから」ですがこの評価を想像できなかったのでしょうか。
私が考えるに、もちろんそれだけの予想はできるはずですが、それ以上に余裕がなかったのではないかと考えています。
おそらく反論・抵抗しない相手だから、弱らせていくことが無意識に快感になっていたのでしょう。
それが暴走の引き金の一つだと思いますが、ではなぜそれほどに暴走してしまうのでしょうか。
それには、こんな理由があるのではないか。と思います。
芸能リポーターは仕事がない
ここ数年、テクノロジーの進化は目覚ましいものがあります。それはSNSも例外ではなく、Facebook、Twitter、Instagramといったツールは芸能人も使用しています。
また、YouTubeのように自身の世界観をビジュアルで発信できる環境も整いつつあります。
そのため、芸能人は自分の舞台や番組、活動全般を自分のSNSやブログで発信します。
YouTubeでは、問題にならない範囲で自分の良いところを伸ばす形で発信します。
これが、平成終わりから令和の芸能人の芸能活動です。
かつてテレビがお茶の間の主役だった頃、私たちはテレビでしかその人の活躍を知りませんでした。
ですから、芸能リポーターは夜討ち朝駆け上等で芸能人のスキャンダルを暴き、それを飯の種にしていました。過激な情報ほどスポーツ新聞は売れ、ワイドショーは視聴率をとれる。
芸能人もそれを利用し、意図的にミスリードの情報を流し(熱愛系がその例)、自身の売名や舞台やドラマの話題作りをして、言うなれば持ちつ持たれつの関係でした。
ですが、今は世の中がそれを求めていません。
本人からのメッセージの方が嬉しいし、直接聞きたいです。不祥事があっても、ワイドショーで謝罪文が読み上げられるよりブログやSNSに掲載される方が早く、芸能リポーターはその役目を果たさなくなりました。
それらしいスキャンダルは文春砲よろしく間違いなく週刊誌の後追いになるし、それらしい情報で話題を作ったところで、SNS上で本人かr否定されるし、交際報道なども今はファンがそれを暖かく見守る流れになってきました。
このようなことから、芸能リポーターという仕事は、世の中に必要とされていないのです。
爪痕を残したいアイドルと同じ?
その圧力は何より芸能リポーター自身が強く感じているでしょう。有名な芸能リポーターのTwitterを見れば、W氏の記者会見に対する批判が多く、それの釈明も言い訳じみていてさらに油を注ぐ事態になっています。
そんな昨今の事情もあり、W氏の記者会見は久々に見せ場だったのではないかと思います。
なんとかして爪痕を残さないといけない。
誰よりも刺激的で効果的な質問をしなければ
国民が気持ちいいと思うこと、聞きたいと思うプライバシーの内側のことに切り込まないといけない
そんな、独りよがりな考えが、暴走を生んだのではないかと思います。
これは爪痕を残したくて変わったことをしようとする、新人アイドルみたいな精神状態に近いかもしれません。
優位に立つと人は自我を見失う
これまでのお話で、私が芸能リポーターという方々をどれだけ毛嫌いしているかもよくお分かりだと思いますが、彼らの態度を見ていると、人間の心理と態度がいかに本性と関係あるかがよくわかると思います。
人は、自分が優位に立てば相手を支配下に置けると勘違いします。
自分よりも立場の低い人を見つけると優越感を覚えます。
同時に自尊感情の低い人間は、自分よりも高みにいる人間に対し、追い抜こうとするのではなく自分と同じかそれ以下に引き摺り下ろし、現状に安心感を覚えようとします。
芸能リポーターがそうである、というわけではありません。
テレビという娯楽は、疲れた人の心を慰めるという側面を持っています。
そんな中で、テレビに娯楽を求める多くの人に共通して関心を向けさせるのが人の不幸話であり、それを満たすことが芸能関係のニュースでもあったのです。
自分の正義を振りかざし怒りに染まる人の心を満たすために、芸能リポーターは質問し、追いつめ、憔悴させ、その姿を流すことで、そういった視聴者の留飲を下げる。それを期待して視聴率が伸びる。
おそらくその大義名分がきっかけ。
そして質問を重ねることで、一方的に非を認め、質問を受け止め、どんどんと弱っていくW氏をみて、正義に酔い始めた本性が理性を失い暴走を始める。
さらに、厄介なことにそれをやっているのは『報道陣』という一人ではない集団。
集団心理も重なって、自分の罪悪感などは微塵も感じなかったことでしょう。
正義、弱っていく相手、集団心理。それはそれは、気持ちよかったことでしょう。
これ、何かの構造に似ていますよね。
そうです。正義は違えどいじめとまったく同じ構造です
今回の騒動で何か変わるか
芸能リポーターは、よもやこのように世論が自分たちに牙を向けるとは思いもよらなかったかもしれません。
それどころか、ワイドショーのMCである芸能人もが、自分たちに批判的な目を向けるとは思わなかったでしょう。
これは芸能リポーター、ひいてはテレビが現代人の感情を理解できず、自分たちが古い時代に取り残されていることを意味します。
ですから、テレビが、リポーター本人が、この時代遅れの立ち位置をはっきりと自覚し、自分に今何が求められているのかを理解できれば変わります。(某リポーターのSNSを見る限り、W氏本人に責任を転嫁しているのでとても買われるとは思えませんが)
そして残念ながら、変わるということが意味するのは、『芸能リポーターという役割はもはや不要だ』ということだと思います。
個人的には芸能人の不倫なんてどうでもいいし、それをわざわざ騒ぎ立てるほど最早そういったことに興味はないと思いますね。
たとえアイドルだって、恋人の存在大いに結構。いまはそんな風潮であると感じます。
SNSの発達で、情報操作による民衆煽動は難しくなりました。
メディアが面白おかしく掻き立てるものはフェイクであることがすぐにバレ、隠したい不都合な事実は事実として衆人環視の目が隠すことを許さない。
ギスギスしているようですが、ある意味事実がしっかりと伝わる時代になり、それによって不必要が淘汰される、いわば自然の摂理かもしれません。
逆に、私たちが受け取る事実が、これからどのように自分に影響があるのか、個の考えがより必要になる時代と言えるでしょう。